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これが私の答え— 
PING ANSER

1959年、PING創業者であるエンジニアのカーステン・ソルハイムは、自身が苦手としていたパッティングの改良を目指して、自作のパターを作り始めます。そして完成したパターは、「すべてのゴルファーの悩みの答えになる」という想いのもと、「ANSER」パターと名付けられました。

『PING ANSER』では、今でも多くのゴルファーのパッティングを支えるパターに敬意を表し、なにかを極めたプロフェッショナルがキャリアを重ねてたどり着いた「私のアンサー」をテーマに、自身の価値観を深掘りしていくインタビュー連載です。

第1回は、4大会連続でオリンピックに出場し、ロンドンオリンピックでは3つのメダルも獲得した日本を代表するスイマー、入江陵介さんのアンサーに迫りました。

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4度のオリンピック出場を支えたもの
強い者は、美しい

鷲っぽい――。
 スタッフの間から、思わずそんな声が漏れる。入江陵介が横に大きく手を広げたときのことだ。確かに、小さく見えた猛禽類が翼を広げたとき、意外な大きさに感嘆するのと同じような驚きがあった。
本人がやや甲高い口調で説明する。
「だいたいの人は両腕を広げたら身長と同じぐらいになるんです。でも、僕は広げたら190(センチ)ある。身長が178なので、その割には長いと思います」

 入江は2012年のロンドン五輪において、男子200m背泳ぎで銀メダルを、男子100m背泳ぎで銅メダルを、さらには男子400mメドレーリレーでも北島康介らとチームを組んで銀メダルをそれぞれ獲得している。
 競泳は腕が長ければ長いほど好都合だ。そのぶん1ストロークの遠心力が大きくなるし、ゴール板までの距離も短くなる。

 競泳における1㎝は、だいたい0・06秒に相当する。極限まで技術を高めた世界は、言ってみれば、それよりもさらに小さい100分の1秒を争う世界だ。そんな熾烈な領域で入江が抜きん出ることができた理由の1つは、そんな身体的特徴にあった。
「有利は有利でしょうね。最後、タッチの勝負になってくるんで。頭で並んでたら、結局、腕の長さの勝負になってくる。僕より長い人もいっぱいいますけど」

 入江の故郷は、大阪のビッグタウンであり下町でもある天王寺区。昭和時代の映画のセットかと見紛うような阪和商店街の少し奥に入ったところで生まれ育った。言うなら「コテコテ」の大阪人である。だが、入江がまとう空気感は真逆と言ってもいい。すっきりとしていて、シンプルで軽やかな印象さえある。
「関西人っぽくないって言われますね。めちゃくちゃ関西人なんですけど」
6歳上の姉と、3歳上の兄を追いかけるように習い事も同じものを始めた。水泳、習字、絵画、クラシックピアノ。
ちなみに兄の晋平も将来を嘱望されたスイマーで筑波大学時代、インカレの100mバタフライを大会記録で制している。ただ、シルエットは弟とは似ていなかった。入江が兄を茶化すように言う。
「兄はやや太めでしたね。よくぞ、そこまで大きくなられたなという感じで」
弟の場合、ピアノでも身体的な特徴が有利に働いた。細く長い指は小さい頃から1オクターブの幅を楽に維持することができた。天王寺中時代まで熱心に取り組み、将来、音楽家になることも考えたほどだった。
両親が花を扱う仕事に従事していたことの影響もあったのだろう、入江の習い事は技術と同時に「美」を磨くものが大半だった。

 入江が国内の注目を集めたのは、近大付属高2年時に出場した日本選手権の200m背泳ぎで高校記録を塗り替えたときのことだ。早生まれの入江はまだ16歳だった。以降、日本代表として日本の背泳界を牽引していくことになる。
高校記録を更新した日、関係者を驚かせたのは記録だけではない。それ以上に泳ぎ方が衝撃的だった。入江の泳法は体の位置が高く、体の芯がまるで静止画のように安定している。さらには手を水中に入れるときも水しぶきがほとんど上がらなかった。したがって、水の抵抗を最小限に抑えることができる。芸術品とも呼ばれた入江の泳ぎ方は、のちに「世界一美しい泳ぎ」と表現されるようになった。
美の本質のうちの1つは機能だ。入江はピアノなどを習得する中で、その真理を自然と身につけていた。
「無駄のない泳ぎというのをずっと意識していました。世界レベルになると2メートル前後の選手がいっぱいいる。170センチ後半の僕とは、大人と子どもくらいの差があった。飛び込んだ時点で、もう20センチぐらい負けているわけですから。でも、自分がもっと大きかったら……とは思いませんでしたね。このサイズだから、うまく体を動かせる、世界とも戦えるんだと思っていたので」

水泳から得たものは年齢によって違うんです。

試合用のウェアも何より機能を優先した。キャップはきつめ、パンツは緩め。キャップは抵抗を最小限にするため、パンツは下半身の動きを最優先するためだった。
「キャップは練習用と試合用で使い分けていました。試合用のものはきつ過ぎて、ずっとはかぶっていられないので。水泳のウェアはオシャレとかは、あんまり縁がなかったですね。他のスポーツだとウェアで気持ちを上げるとか、そういうのもあるんでしょうけど」

 入江は男子の中では、かなり早熟な部類に入る。それでいながら34歳になるまで現役を続けることができた。選手寿命が短い競泳選手としては異例の長さだ。

 その間、2008年の北京五輪から2024年のパリ五輪まで、五度のオリンピックを跨いでいる。うち最後のパリを除く4大会に連続出場した。この数字は、日本競泳界における最多タイ記録になる。第一線でこれほどまで長く戦えたのは、力だけに頼らない、機能性を突き詰めた省エネ泳法の賜だった。

 ちなみに入江がマークした100m(52秒24)と200m(1分52秒51)の日本記録は今も破られていない。
世界レベルの競泳は、何年もかけて0.01秒を縮める作業でもある。いったいそれが何のためになるのかと疑問を抱いたことはないのか。
「もちろん、ありますよ。やっぱりしんどいですし、やめてもいいなと思うことはありました。けど、長くやれたことで、プラスになったこともたくさんあります。得られるものって年齢によっても違うんです。(2016年の)リオ五輪のあとは記録が伸びなかったり、ケガをしたりと、苦しい時期の方が多かったんですけど、そういうときにしか味わえない感情もあるじゃないですか。メダルを獲ったときの感情だけが価値あるものではない。あえてしんどい道を選ぶことでしか得られないものもあった。最後の方は精神的にも肉体的にもクタクタでしたけど、水泳を選んで、しかも長くできて、絶対によかったんだと思えましたね。できることはすべてやったという自信があるので、引退を決めたときは、もう『スッキリ!』という感じでした」

 入江の体重は高校2年で代表になったときは62㎏だった。その後、筋トレなどで体を大きくし、引退時は67、8㎏ほどになっていた。
「今は72㎏です。ちょっと増やしました。太ったわけじゃないですよ!」

 入江は今、頻繁にジュニア世代の水泳指導をする機会がある。そのときの見栄えを意識し、トレーニングで胸筋を大きくしたのだという。
「ぽよーんとし過ぎないように気をつけてます」
 強い者は美しく、逆もまた真だ。この美意識が入江の流儀であり、水泳において、もっと言えば、人生において辿り付いた1つの答えなのだ。

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― 入江陵介さんプロフィール―

1990年1月24日生まれ、大阪府出身。0歳から水泳を始め、中学時代に背泳ぎへ転向。2008年の北京五輪を皮切りに、ロンドン、リオ、東京と4大会連続でオリンピックに出場した。2012年ロンドン五輪では200m背泳ぎ銀、100m背泳ぎ銅、4×100mメドレーリレー銀の3つのメダルを獲得。2024年4月、18年間の現役生活に幕を下ろした。

Photo: Shunichi Oda  
Styling: Yudai Takemae
Hair&Make-up: Oya 
Text: Kei Nakamura
Edit: Dai Iwaya

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